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野球の国から・平成野球史

ドルじゃなくて円…師匠は絶句/新庄剛志氏8

98年11月、秋季キャンプで柏原コーチ(右)の指導を受ける阪神新庄

想像を超えたプレー、パフォーマンスで球界のムードを一変させた新庄剛志。ここからは5回にわたって新庄をよく知る関係者の話から当時の舞台裏を探る。

  ◇   ◇   ◇   

新庄の師匠と言えるのは、阪神や日本ハムなどで打撃コーチを歴任した柏原純一(66)だ。阪神入団時の2軍打撃コーチ。野村克也が阪神で指揮を執った99年からは、1軍打撃コーチを務めた。「強烈に覚えているのは、野村さんの時の話で…」と話し始めた。

ある日のこと、試合前のフリー打撃で新庄の順番が近づいた。「おーい、バッティングだぞ!」と大声で呼んだ。センターを守っていた新庄は、ホームに向かって走り始める。そこにライナー性の打球が飛んだ。目の前でバウンドすると、新庄は足でトラップ。そのまま硬球をシュートのように蹴った。「パン、パーンとね。それは見事だった」。一連の動きに見入ってしまった。「普通だったら、怒るんだけどね」。戻ってきた新庄に、思わず聞いた。「お前、何してんの?」。あっけらかんと答えたという。「僕ね、野球が一番ヘタなんです。サッカーはうまいんですよ」。柏原は言葉を失った。

ただし、柏原の記憶にはいわゆる「宇宙人」のイメージは残っていない。「全く手のかからない選手だった」。それよりも、入団1年目から打撃センスにほれ込んだ。「アイツの打撃が好きだった。体に巻き付くようなバッティング。タイミングの取り方がうまかった。筋力がつけば、おもしろくなる」。豪快でおおらかな性格の柏原とも合った。2年目のキャンプが終わると、当時の2軍監督にこう進言した。「今年は打てなくても、2軍の試合は4番で使ってください」。経験を積ませたことがブレークにつながる。3年目の92年は「亀新フィーバー」でチームは2位に躍進する。

師弟のハイライトは、99年6月の「敬遠球サヨナラ事件」だろう。この裏には、2人の入念な打ち合わせがあった。巨人戦の数日前に新庄から相談を受けた時、柏原はクギを刺した。「一塁を無条件に譲ってくれるわけだから、勝手に打ったらアカンよ。打ちたかったら、打席を外して、ベンチを見ろ。僕が野村さんに聞くから」。さらにこう助言した。「三塁に走者がいれば、ベースにくっつく。三遊間が空くから、ゴロを転がせば、1点入る」。

柏原は敬遠打ちの師匠でもあった。81年7月の西武戦で、永射保の敬遠球を左中間に3ラン。「オレは勝手に打った。後を打つソレイタが永射を全く打てなかった。敬遠の球にカーブやフォークは投げない。バットが届けば、ヒットになる。でも、打てなかった時の言い訳は考えた。打とうと思ったのは、あの時だけ」。新庄は、ベンチのGOサインを待った。12回裏1死一、三塁。巨人槙原の敬遠球を打ち、助言通りに三遊間を破った。

やがて別れの時は来た。新庄はFA権を行使し、メジャーへ挑戦。00年オフに、米国に飛び立つ直前の新庄から電話がかかってきた。「ニューヨーク・メッツに行きます!」「ナンボで行くの?」「2000万です」「2000万ドルか…」「いえ、2000万円です」。ここでも柏原は絶句した。今、しみじみと振り返る。「アメリカに行ってよかったよ。苦労したし、ファンファーストを覚えてきた。一生懸命さもね」。(敬称略=つづく)【田口真一郎】

野球の国から・高校野球編

「野球バカ」を作ってはいけない/我喜屋優1

10年夏の甲子園決勝を終え、表彰式で握手を交わす興南・我喜屋優監督(右)と東海大相模・門馬敬治監督

全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える今年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。名物監督の信念やそれを形づくる原点に迫る「監督シリーズ」の第7弾は、興南(沖縄)監督として、10年春夏甲子園で連覇に導いた我喜屋優さん(67)です。現在は監督、理事長、校長と「3つの顔を持つ」我喜屋さんの物語を、全5回でお送りします。

  ◇  ◇

青い空、青い海。時を忘れさせてくれるような琉球のムードとは裏腹に、興南グラウンドの上空には、米軍の戦闘機が飛び交っている。1945年(昭20)、太平洋戦争で日本国内唯一、一般住民が巻き込まれた激しい地上戦の地、沖縄。我喜屋の姉も犠牲となった。70余年が過ぎた今、球児が必死に白球を追い続ける姿に平和の2文字がにじむ。

我喜屋は高校3年生だった68年夏の甲子園で沖縄県勢初の4強入りを果たした。まだ米国の占領下にあった地元を「興南旋風」で熱狂させた。

甲子園では新聞記者に囲まれて「日の丸をみてどう思う?」「普段は英語中心の授業なの?」と矢継ぎ早に質問を浴びた。「普通ですよ」と答えるのが精いっぱい。少年ながら複雑だった。

興南監督に就いたのは07年で、その夏に24年ぶりの甲子園出場に母校を導く。10年は春夏連覇を遂げ、沖縄を「野球王国」と言わしめた。

我喜屋 私は「野球バカ」を作ってはいけないと思ってます。それが信条です。強豪校の選手になるとスカウトに声を掛けられてプロ入りを意識するでしょ。いい選手ほど野球漬けになりがちです。野球をとったら何も残らない、野球はうまいが社会人としては通用しないという野球バカには育てたくない。大切な子供たちを任された以上、ちゃんと育てて、必ず付加価値をつけて次のステージに送り出したいんです。

自身の人生が常に逆境との戦いだったからこそ、「野球を通して社会に役立つ人材を育てたい」と言い切れるのだろう。

沖縄南端の地で貧しい幼少時代を過ごし、養子にも出て、高校では雑用係から主将になった。大昭和製紙富士の社会人時代は北海道への転勤を経験する。

だが、73年都市対抗野球大会でベスト8、74年は「5番打者」で雪国のハンディを克服して頂点に輝いた。高校、大学、社会人を通じ、優勝旗が津軽海峡を渡るのは初めてのことだった。

我喜屋 甲子園は努力した成果を示す1つの舞台です。勝ち上がった選ばれしものしか行けない。野球は人生の「道」です。だからその過程が大事。アメリカは「プレー」を優先するかもしれないが、日本は「道」。古い考えと思われても結構です。しかし、高校球児の真摯(しんし)な心が身なり、態度に表れるから人の心を引きつける。野球は世の中の縮図なんです。

沖縄の風土には「うちなータイム(沖縄時間)」といって、時間にルーズな気質があった。また、「なんとかなるさ」という意味の「なんくるないさ~」という方言が存在する。

我喜屋 沖縄の楽観的考えを改めないとダメだと思いました。野球が終わった後のほうが人生は長い。甲子園は人生が終わる場所じゃない。だから、甲子園で負けて泣きじゃくることを絶対に許さない。試合に負けると泣きじゃくって同僚に抱えられながら引き揚げてくるシーンを見る。甲子園に出てうぬぼれるのはもってのほかで、高校野球はジ・エンドかもしれないが負けて学ぶのが甲子園。悔しい思いをぐっとこらえて「ありがとうございました」というのが筋。常に「なんくるないさ~」の人間では困るんです。心を鍛えないと、体を鍛えても意味がありません。

選手として、指揮官として、多くの快挙を積み重ねてきた「我喜屋マジック」は、いかにして生まれたのだろうか。(敬称略=つづく)【寺尾博和】

◆我喜屋優(がきや・まさる)1950年(昭25)6月23日、沖縄県生まれ。興南で68年夏の甲子園では4番中堅手、主将も務め4強入り。当時の沖縄県勢の甲子園最高成績を飾った。高校卒業後、大昭和製紙富士(静岡)入り。72年に大昭和製紙北海道へ移り、74年都市対抗優勝。89年に大昭和製紙北海道の監督に就任。翌年から4年連続で都市対抗に出場した。07年から興南監督。10年に史上6校目となる春夏甲子園連覇。夏は沖縄県勢として初の優勝だった。

(2018年2月1日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)

評論家コラム

広島小園は攻守に下半身主導の意識必要/篠塚和典

小園海斗(2019年2月18日撮影)

日刊スポーツ評論家の篠塚和典氏(61)が23日、広島ドラフト1位小園海斗内野手(18=報徳学園)の動きをチェックした。阪神との練習試合、試合前の練習を視察。焦らずに体をつくることを提言した。

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小園の打撃を見て思ったのは、打ち始めの形がいいということ。バッティングは、投手に向かっていく時にどういう形になっているかが大事。中日根尾もそうだがバットを振り出すまで余分な動きがなく、自然な形でトップができて、投手に向かっていけている。

ただ現時点では、攻守両面で下半身がうまく使えていない部分がある。今日は素晴らしいダイビングキャッチもあったが、スローイングでは上半身に頼った投げ方をしている。守備でも捕ったらまず下半身でいくという意識を持って欲しい。守りは右から左、逆に打撃では左から右に体重移動しながらスイングする。方向は逆だが、下が移動して上がついてくるという理論は同じ。守りで下を意識すれば打撃にも良い影響を与えるはずだ。

フリー打撃の打球音も「ボコッ」という鈍い音で、鋭い「カンッ」という音が出ない。これはスイングがまだ弱いから。今日の試合で広島の3番に入った坂倉は小園と同じ高卒で、3年目の選手。スイングのキレ、スピードがあり、巨人から移籍した長野が絶賛していたのもうなずけるバッティングだった。小園も焦らず体をつくれば、数年後にはああいう振りができる。

とはいえプロ入り後初めてのキャンプ、実戦の中で楽しそうにやれているのはたいしたもの。広島はそんなに焦って新人を使うほど台所事情は苦しくないはず。3年くらいビシッと鍛えれば素晴らしい選手になる。(日刊スポーツ評論家)

4回表日本ハム2死一、二塁、小園は谷内の遊ゴロを好捕し、二塁ベースにタッチし一塁走者の清宮(手前)を封殺する(撮影・前田充)

野球の国から・平成野球史

スト直前 緊迫のオーナー会議/次代のプロ野球へ

04年9月8日、プロ野球の臨時オーナー会議

1月下旬から約1カ月にわたって掲載してきた2004年(平16)の「球界再編問題」。最終回はストライキ直前の9月8日、緊迫する臨時オーナー会議を振り返った上で、次代の野球界が目指していくものに迫る。

      ◇       ◇

プロ野球史に残る「球界再編」は、過去に対する反省の1年でもあった。人気ばかりか、ドラフト、FAなどのシステムまでも巨人に依存していたツケが浮き彫りになった。

巨人、オリックス、西武、ロッテなど、経営者が水面下で仕組んだ「1リーグ構想」が崩れ、セ・パ12球団は維持された。ただ9月18、19日に決行された史上初のストライキは、少なからずファンを失望させた。

近鉄・オリックスの合併、新規参入を巡った労使協議・交渉委員会が決裂。ストライキを前にしたオーナー会議は緊迫した。密室でのやりとりを、取材メモをもとに一部再録する(オーナー名は当時)。

オーナー会議議長・滝鼻卓雄(巨人) ご意見をうかがいたい。

白井文吾(中日) ストライキを強引にやると(球界は)衰退しかねない。(合併)承認の先延ばしが賢明だ。

堀澄也(ヤクルト) 賛成する。

宮内義彦(オリックス) 経営と選手会との話を分けるべきだ。可決しないとオーナー会議の権威が疑問となる。

久万俊二郎(阪神) 運命共同体。ファンの反感を計算しているのか。どれだけの損害になるのか…。自分たちの痛みを選手会に説明すべきだ。

堤義明(西武) パ・リーグの窮状が、セ・リーグには理解されにくいのかもしれない。セから巨人を抜いた形と考えてほしい。

重光昭夫(ロッテ) うちは選手を全力で説得したい。

中内正(ダイエー) パ・リーグは家族と考えている。ストはむなしすぎる。

白井 2リーグ堅持の方向性を打ち出すのは?

堤 もし(パ・リーグが)4になったらどうするか。セ・リーグからひとつパに来ていただいて、5と5にするか…。

松田元(広島) もう結論を出すべきだ。

「プロ野球はだれのものか?」が問われた。1リーグに執着した経営陣は、世論の反発で逆風にさらされた。コミッショナーの指導力にも疑問が残った。

未曽有の1年は、楽天の新規参入、ソフトバンク誕生で一応の決着をみた。構造改革の結論として、交流戦、クライマックスシリーズが導入された。

球界再編から十数年が経過した。しかし、平成が終わろうとする今も課題は多く、決して立ち止まってはいられない。

「地域密着」「底辺拡大」「国際化」は3大テーマだ。小さいパイの取り合いで利益を優先すると「文化的公共財」(野球協約第3条)の理念が揺らぐ。同協約で野球は「不朽の国技」とうたわれている。金もうけの追求は企業のエゴを指摘される。まず社会貢献が前提にある。

各球団の集客力はアップしているが、野球人口減少に歯止めをかけるまでには至っていない。球界参入に強い興味を示す複数企業とエクスパンションへのビジョンも必要だろう。「アジア戦略」「マイナーリーグ」も検討に値する。

今回の取材の結びに王貞治(ソフトバンク球団会長)は「球界はもっと変わっていくだろう。だが、野球は変わらない」と言った。

時代が変わっても、野球が永遠であるために英知を絞りたい。予断を許さない情勢に変わりはない。(敬称略=この項おわり)【寺尾博和】

高原のねごと

元バッテリー与田監督と矢野監督、初対決で沖縄熱く

現役時代の中日与田剛(右)と矢野輝弘(矢野燿大)(1992年6月24日撮影)

キャンプ取材の宿舎にしている沖縄市近くのショッピングモールに買い出しに行く。ポケットティッシュ付きのチラシをもらった。「県民投票」のPR。大きなニュースなので詳しくは書かないが、沖縄の米軍基地に関する辺野古埋め立ての賛否を問う24日の投票を周知する狙いだ。関西では見ない、投票を促すテレビCMも盛んに流れている。

政治の絡むことを簡単に書くのは難しい。1つだけ言わせてもらえば、沖縄は我々メディアを含めた球界が大きく世話になっている土地だ。地元の人も県外から来る人も愛する島。そこで皆が平和な気持ちで暮らすことができるようにするためには何がベストなのか。立場の違いを超え、しっかり考えなければならないことだ、と思う。

「沖縄を本拠地にする球団がほしいな」。そう言ったのはこの島が大好きだった闘将・星野仙一だ。そこまでいかなくても2、3月のタイミングで12球団がこの島に結集して何かできないかという話もいっしょにした。沖縄のために何か恩返しのようなことを球界はしなければ、と今も思っている。

阪神キャンプが休日だった22日。北谷でキャンプを張る中日の様子をうかがいに出掛けた。新しい指揮官・与田剛に会うと恐縮するほど丁寧にあいさつしてもらった。阪神にも所属した与田は猛虎OBでもあり、旧知の間柄だ。

「現役時代はもちろんテルに受けてもらっていましたよ」。剛腕投手だった与田は阪神の指揮官・矢野燿大と中日時代にバッテリーを組んでいた。性格も野球に対する姿勢もよく知り、愛称「テル」と呼ぶ仲でもある。そして今度は監督同士としての対決だ。

「そうですね。中日でいえば星野さんと木俣(達彦)さんが監督同士で対決するような感じなのかな?」。オールドファンなら、うれしい例えで与田は言った。

同時に与田は真剣な表情でこんな話もした。「バッテリー対決といってもね。自分たちがプレーするわけではないので。やりたいこととやれることが違うこともあるし。我慢が大事でしょうね。ここのところウチは低迷しているし、簡単じゃないですよ」。

低迷からの脱却。矢野にしても、まったく同じことだろう。かつてのバッテリーが監督として初対決する今季。ともにコーチ経験もあり、指導する難しさと楽しみも知る2人の戦いはセ・リーグの見どころの1つ。阪神-中日のカードは両球団にとって上位進出へ重要だとも思う。そんな2人の初対決は沖縄の熱い日となる24日のオープン戦だ。(敬称略)

中日与田監督(左)と阪神矢野監督

野球の国から・高校野球編

駒苫以外のイメージ沸かないでしょ/香田誉士史5

17年11月、西部ガスの新球場で打撃練習を見守る香田監督

その日の天気予報は雨だった。香田は駒大苫小牧の監督として01年夏、03年春と甲子園出場を果たしたが、いずれも1点差で初戦敗退。迎えた03年夏のことだった。初戦の倉敷工(岡山)戦は序盤から打線がつながり大量8点をリードも、試合前のノックから降り出していた雨が次第に強まり4回途中で降雨ノーゲームに。翌日、仕切り直しの一戦で敗れた。

香田 勝ちが欲しくて欲しくて…。選手ではなく、俺自身が気持ちを切り替えることができなかった。俺は甲子園で勝てない監督なのか、勝負師にはなれないのかっていう劣等感に押しつぶされそうだった。

降雨ノーゲームで甲子園初勝利が流れてから1年後、04年夏の初戦を控えた甲子園の室内練習場は、妙な熱気に包まれていた。現駒大苫小牧監督で、当時主将だった佐々木孝介(3年)の手には、前年悔し涙を流した卒業生からの手紙があった。「甲子園での悔しさは、甲子園でしか晴らせない」。ミーティングの様子を練習場の隅で聞いていた香田は、選手よりも号泣していた。

佐々木 僕らは「香田信者」でした。監督の不器用で繊細な部分が、選手に伝わってくるんです。勝った日の夜は必ず宿舎のホールでニコニコして「熱闘甲子園」を見ていましたね。

泣いたり、笑ったり。威厳のある監督ではなかったかもしれない。それでも、香田が口にする「全国制覇」は、いつも本気だった。04年夏、初戦の佐世保実(長崎)戦でようやく甲子園勝利監督となった香田は、一気に頂点に上り詰めた。大会史上最高打率で初優勝したメンバーは全員、北海道出身者だった。

初優勝から3年後、香田は監督を辞し、翌08年に駒大苫小牧を去った。「指導者として情けなかった」との思いをかみしめて。05年には57年ぶりの夏の甲子園2連覇を果たしたが、部内で相次ぐ不祥事にチームは何度も空中分解しかけた。06年、それでも夏に3年連続で甲子園の決勝へ進んだ。南北海道大会まで主将を務めた田中将大(現ヤンキース)がエースだった。決勝で演じた斎藤佑樹(現日本ハム)擁する早実(西東京)との2日間にわたる熱戦は、球史に残る名勝負として語り継がれている。

香田 もめ事が多くて、選手には寂しい思いをいっぱいさせてしまった。将大の存在が大きかった。あいつの精神力は無条件に強い。それを見せつけられた。

「ほんの遊び心で」入学時には捕手だった田中を公式戦に登板させた頃が、懐かしく思えた。最後の夏は胃腸炎に苦しみながらも絶対エースとして君臨した右腕に、感服した。

高校球界と決別し、時は流れて昨年11月、福岡に拠点を置く社会人野球の西部ガスで監督に就任した。実に10年ぶりの「監督」復帰だった。

香田 高校野球という舞台で、俺が別の高校の監督をしているイメージは湧かないでしょ。踏み出せない。怖さもある。それに、経験したことのないステージで試したかった。

新たな道を歩み始めたが、甲子園の思い出が色あせたわけではない。

再び、時を準優勝した06年夏に戻そう。閉会式後のことだった。早実・和泉実監督(56)の胴上げを見届けた選手たちが「監督、胴上げ、お願いします」と集まってきた。ひっそりと甲子園で行われた、もう1つの胴上げ。香田の体が、宙を舞った。

香田 あいつらとはわかり合えなかったと思っていたけど、体が浮いた瞬間、全てが吹っ飛んだ気がして、涙ボロボロだった。優勝した時より、涙が止まらなかった。

「薄っぺらい」と感じていた教え子たちとの絆は、しっかりとつながっていた。「奇跡の夏」が、終わった。(敬称略=おわり)【中島宙恵】

(2018年1月31日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)

番記者コラム・ロッテ

岩下の目標はサファテ!吉井コーチと直球磨きに着手

力投するロッテ岩下(2018年10月5日撮影)

ロッテの22歳右腕、岩下大輝投手が、新たにチームに加わった吉井理人投手コーチと直球に磨きをかけている。「今ちょっと新しいことに取り組んでいるんです」。もともと体が開くクセがあったが、左肩と踏み出した左足を開かずに踏ん張り、その反動で自然に右腕を回して前でボールを放す感覚。「ポイントは左側の手と足。止めるところを止めて回すところを回して、もっと前で放すイメージです」と説明する。

今季、吉井コーチが加わり、何度か話し合いの機会があった。「あそこまで自分の意見を聞いてくれるコーチはほぼ初めてですね。僕が言いやすい環境をつくってくれているのかなと思います」。会話の中で「どんな投手になりたいのか?」と聞かれ、ソフトバンク・サファテと日本ハム石川直の名前を挙げた。「角度があって速い、強い球を投げる。ああいうまっすぐが良いピッチャーになりたい」と目標を掲げる。

星稜高から14年ドラフト3位で入団し、今年でプロ5年目。昨年は初登板を含めて18試合に投げた。10月5日の楽天戦では先発して6回4安打無失点。うれしい初勝利も記録した。今季は「全然調子が悪い。現時点では理想のイメージとかけ離れすぎている」という。そんな中でも明るさは失わない。「自分は去年初めて1軍で投げたばかりの投手。まだ22歳。経験のある方からいろいろ聞いて、自分に合っている投げ方をいろいろ試したい」。意欲的にトライを続けるつもりだ。【千葉修宏】

吉井投手コーチ(2019年2月5日撮影)
評論家コラム

根尾の高めに下からのスイングは確率悪い/篠塚和典

激しく雨が降る中、室内練習場から移動する中日根尾(撮影・林敏行)

日刊スポーツ評論家の篠塚和典氏(61)が中日ドラフト1位根尾昂内野手(18=大阪桐蔭)の練習をチェック。細かな動作を逃さずヒントを提言した。

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あいにくの大雨で、根尾を見るのが室内練習場になってしまったのが残念だが、打席でのたたずまいに雰囲気がある。野球選手にとって「こいつすごそうだ」と思わせる雰囲気は大事。小笠原2軍監督に聞いたところ、まだ技術的にはさほど指導していないという。右ふくらはぎ痛からの全快を焦らず、スケール大きく羽ばたいてほしい。

プロで成功するには「今日より明日、どうすればいい確率を出せるか」を考えることだ。私は高校時代からバットのヘッドを遅らせて左方向へ打ったり、投手の足元へはじき返したり、自分の思ったところへ打つ練習を繰り返してきた。プロではティー打撃で100%、フリー打撃でも99%狙い通りに打てるようになった。それでも試合では打率3割5分がいいところだ。

根尾はこの日のティー打撃で、高めの球に本塁打を打つような下からのスイングを繰り返した。あれだとプロの速球に対して確率が悪い。高めはヘッドを立ててボールを抑え、ティーネットの下の方へ打つようにする。そうすればインパクト時に右肘を締める感覚も身につく。高めしか来なければ、自分から低めも要求する。膝の柔軟性を使って下半身で打つ練習になる。

私も75年ドラフトで大学生の中畑さんらを押しのけて1位で指名され「期待に応えなければならない」という部分があった。ただキャンプで1番つけなければいけないのは体の強さ。外側の大きな筋肉は見栄えがするが、打撃は内転筋などの内側が大事。ファームでしっかりとした形が身につけば首脳陣も上に呼んでくれるはず。焦ることはない。(日刊スポーツ評論家)

篠塚和典氏(右)と話す中日根尾(撮影・林敏行)
野球の国から・平成野球史

アジア人が目指す日本/コミッショナー語る未来図2

インタビューに応じるNPB斉藤惇コミッショナー(撮影・河野匠)

プロ野球の未来像を日本野球機構(NPB)斉藤惇コミッショナー(79)に聞いた。野村証券副社長、日本取引所グループCEOという経歴を持つビジネスマンは、どんな絵を描いているのか。ビジネス界出身の斉藤惇コミッショナーが描く球界の未来図。2回目は世界との関わりについて。

  ◇   ◇   ◇  

トップ選手が次々に大リーグに挑戦する流れが続いている。昨季は日本ハム大谷が6年目、23歳で渡米した。

斉藤 米国に行ったら面白いと選手が思うのではなく、日本の野球をもっと面白くする。大谷さんがアメリカに行く時、栗山監督がどうしてもかと聞くと「野球選手になったらアメリカに行きたい」と言ったと。本音だと思う。どの選手も1回はメジャーでと。それを僕はどうこう言うつもりはない。アジアの人が野球をここでやりたいと思わせるようにしたい。

今季は台湾のスター王柏融が来日した。アジアは韓国、台湾にプロが存在し、巨大市場の中国がある。

斉藤 ここは一番面白くて可能性がある。各オーナーがあまり反対しないところでしょう。日本で球団を増やす考えもあるが、アジアのチャンピオンシップを争う。ナショナルスティックなものは、バドミントンだろうが卓球だろうが、日の丸とか中国の旗がなびきだすと、わーっとくる。中国が本当に強い野球チームをつくると、あれだけ人がいるんだし面白いかも。1回北京では(オリンピックを)やったし、台湾、韓国は非常に強い。オーストラリアはいつも入りたいと言っている。

12球団以外にフランチャイズを台北、上海、北京などに設置する可能性はあるのか。各リーグ勝者からアジア王者決定戦の枠組みが先か。

斉藤 (フランチャイズ設置は)少し…実現しそうにない夢に近いけど(笑い)。同じアジア人で、1つのスポーツで争うのは面白い。日本シリーズの次に、アジアシリーズがあって、ソウルや台北、上海でやったり。それなら観客数の心配はいらないと思う。

地方への分散は、球界再編問題から生まれた成果だ。オリックス宮内オーナーは、50万人規模の都市にマイナーとして2軍を置くことを提案する。

斉藤 強いチームが不思議と地方ですよね。福岡、広島、仙台、北海道。サッカーは各県に1つある。人間は、評論家が言うほどコスモポリタン的(世界主義者)じゃない。高校野球でも全国からプレーヤーが集まっているけど、やっぱりおらが町の、となっている。まだ正式に討議してないけど、マイナーを地方にというのは、1つの考えかもしれない。

プロ野球は巨人戦の放送権に依存した体質から脱却した。今後は人口動態を見据えた上で「アジアへの展開」と「地域密着」を同時並行で考える時代だ。(敬称略=つづく)【斎藤直樹】

高原のねごと

星野氏がこだわった「勝ちグセ」細部の競争が源泉に

阪神島田海吏

15年ぶりに宜野座で行われたTC戦は新指揮官・矢野燿大率いる阪神が5-0で快勝した。午後から雨の予報だったがスッキリと晴れ渡った真夏のような空になった。その下で昨季優勝と最下位の差がついた相手に19年初対戦で勝った。

現在はどこも戦力を試している時期だ。スタメンで主力選手が出てもすぐに交代していくし、正直、勝敗はあまり関係がない。それでも負けるよりはいい。何より勝つことにこだわっていく姿勢が今季の阪神には必要だ。

「そんなもん、オープン戦だろうが何だろうが全部勝ちにいかないかんやろ! 当たり前やないか! 勝ちグセをつけないかん!」

そんな話をしたのは阪神のキャンプをこの宜野座に持ってきた星野仙一だった。「勝ちグセ」。「勝ちたいんや」という超真っすぐなキャッチフレーズで戦った指揮官はその言葉も大事にした。

よく言われるように勝つにはチーム内の競争が必要でもある。特に移行期にあるチームはそうだろう。もちろん阪神も。その意味でこの日の練習試合、少しいいものを見た気がしたのは9回だった。

特別ルールなので勝っている阪神、9回裏も攻撃。広島の投手は左腕フランスアだ。昨季途中で育成契約から支配下登録されると「こんなのがいたのか」と他球団をあぜんとさせる投球を披露。カープの3連覇に大きく貢献した。

そのフランスアから島田海吏が四球を選んだ。途中出場でこの試合、これが初打席。島田はあの赤星憲広が着けた背番号「53」を背負う男だ。盗塁を狙うがフランスアもマーク。素早いけん制球を3度も投じた。結局、ワンバウンドになったバッテリーミスで島田は二塁を陥れた。

島田 絶対に走ってやろうと思っていたのであんな形で二塁に行って「あ~」と思った。まだまだです。赤星さんなら初球で走ってましたね。

外国人投手は初球の入りが甘いというか、割と簡単に投げるのが一般的なパターン。そこを持ち出し、島田は反省した。それでも相手のミスですかさず走ったプレーにはなかなかの緊張感があった。

ドラフト1位で入団した近本光司と似たタイプ。近本だけでなく快足選手は他にもいる。昨季、ファームでチーム最多の26盗塁をマークした島田も2軍でばかり走っていても仕方がない。

「まあ普通のプレーですけどね。でもナイスプレーでもあります」。島田について矢野は話した。目立たなくても細かいところで繰り広げられる競争がチーム力を上げると期待したい。(敬称略)

野球の国から・高校野球編

暗くて地味で情けなかった/香田誉士史4

05年夏2連覇を達成した駒大苫小牧ナインは田中(中央)を中心に大喜び。手前は松橋

95年の赴任当初、全国屈指の強豪だったアイスホッケー部やサッカー部が肩で風を切る横で、室蘭地区予選すら突破できない駒大苫小牧野球部は目立たなく、香田の言葉を借りれば「暗くて、地味で、情けなかった」。そんな情けないチームを形にするには、どうしたらいいのか。技術がないなら、せめて恥ずかしくない態度を身に付けさせたい、と考えた。

自転車で球場まで移動する時に2人乗りはしない。カバンや靴はきれいに並べて置く。返事、あいさつはきちんとする。「野球はすぐにうまくなれないけど、そういう部分は変われるだろ」。駒大苫小牧といえば、大きな声でのあいさつ、道具を扱う際の気配りなど、今や道内一と言っていい。むしろ徹底されすぎていて怖いくらいだが、土台はこの頃に作られた。

24歳の熱血監督と甲子園など夢にも思わなかった高校球児の距離は、簡単には縮まらなかった。それでも、当時の話になると、香田の表情はパッと輝く。

香田 あの頃が一番面白かったな。あいつらのおかげで勉強になったし、あのスタートがあったから、その後もあった。

赴任して2年目の96年夏、さっそく結果が表れた。室蘭地区で春の北海道大会を制した苫小牧工を撃破し、13年ぶりに南北海道大会へ駒を進めたのだ。南北海道大会では初戦突破も、準々決勝で北海に2-3で敗退。紙一重の勝負だった。勝った北海は、甲子園出場を決めた。

香田 悔しくて、球場を出る時に泣いていた。あの時、甲子園との距離が見えた気がした。泣きながらも明確な自信が湧いてきた。

97年以降、駒大苫小牧は室蘭地区を勝ち上がり南北海道大会の常連となっていく。道具を一切使わない駒苫名物の想定練習や人さし指を掲げるNO・1ポーズ、そして雪上ノック。あふれ出るアイデアが全国制覇への道を加速させた。

当時、北海道でしのぎを削った指導者たちが香田を語る時、必ずと言っていいほど口にするのが「徹底力」や「反骨心」という言葉だった。同じ71年生まれで古豪・北海の監督として16年夏の甲子園で準優勝した平川敦(46)は言う。

平川 駒苫といえば、やっぱり機動力。野球自体が違った。リードの出方、走るタイミング、ベース前の加速の仕方、ランナーの意欲も常に全力。熱くて、激しくて、泥臭い。

フライでも、走者は次の塁にスライディングをしてからベンチへ戻った。守備のミスを想定しているからだ。「あんな無駄なことをさせて、どうするんだ」。あざける人もいたが「常にやっているから、とっさにできる」と平川は思っていた。

一瞬でも、諦めない。夏の甲子園で常勝を誇った04~06年の3大会は、14勝のうち逆転勝ちが8試合。5点差、6点差もはね返した。もちろん、運はあった。驚くような投手起用がはまり、監督のサインミスを選手が救った。勝機では吹奏楽部員が奏でるチャンステーマに乗って、一気に相手をのみ込む猛攻撃。その戦いぶりは、香田がチームへ注ぎ込んだ信念を如実に表し、勝利の女神を魅了した。(敬称略=つづく)【中島宙恵】

(2018年1月30日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)

番記者コラム・横浜

母国で馬飼育のソト、焼き肉大好きも馬肉はNG

青鬼に扮(ふん)し豆をまくDeNAロペス(左)とソト(2019年2月3日撮影)

プエルトリコが生んだ怪物。18年シーズンで41発をマークし、セ・リーグの本塁打王に輝いたDeNAソトは「大好きな日本食は、やっぱり焼き肉だね」と好物をモチベーションに沖縄・宜野湾キャンプをこなしている。昨季全143試合のうち107試合出場し、ホームランキングに輝いた男。“セ界”の投手陣を“食い物”にしてきたことは言うまでもない。

そんな29歳の助っ人にも、もちろん苦手なものはある。「馬肉は本当に駄目なんだよ」と見たこともない表情を浮かべ、「馬の肉を食べるなんて、考えられないよ」と渋い表情にさらに拍車がかかる。どんな投手からも豪快な1発を放ってきたソトだが、馬肉の話題になると、まさにお手上げ状態となる。

無理もなかった。母国・プエルトリコの家では、馬を飼育しているという。「オパロとヘネシスっていうんだよ」と満面の笑みを浮かべる。先ほどからは、想像もつかない表情。「馬を食べるなんて…」と少しばかり、あきれた顔さえ浮かべていた。それでも…。日本には「馬力」という言葉が存在する。今季も「何万馬力」のパワーで、チームをけん引してほしいものである。【栗田尚樹】

DeNAネフタリ・ソト(2018年2月12日撮影)
評論家コラム

阪神木浪は開幕1軍確実 左対左苦にせず/梨田昌孝

<練習試合:阪神5-0広島>◇21日◇かりゆしホテルズボールパーク宜野座

阪神対広島 3回裏阪神2死一塁、木浪は右前打を放つ(撮影・上山淳一)

阪神ドラフト3位ルーキー木浪聖也内野手(24=ホンダ)がまた打った。21日の阪神の沖縄・宜野座キャンプで行われた練習試合広島戦に、プロ初の一塁でスタメン出場。九里と岡田のローテ級右腕から先制の2点打を含む2安打を放ち、5試合の実戦成績は打率4割6分2厘、6打点の大暴れ。前楽天監督で今春から日刊スポーツ評論家に復帰した梨田昌孝氏(65)が“木浪のスゴさ”に迫った。【取材・構成=松井清員】

   ◇   ◇   ◇

木浪は本当に大したものだ。初回の1死満塁の好機で(前打者の)中谷が初球、簡単に内野フライを打ち上げた。3四球でもらったチャンス。さあ一気にいくぞという場面で、5番が外野フライも打てないのかと、ベンチのムードは最悪だ。その悪い流れを会心の一振りで断ち切り、流れを呼ぶ先制の2点打を放ってみせた。リーグ4連覇を目指す広島との注目の初対決。景気よく快勝できたのは木浪のおかげだ。

一番の長所はスイングがコンパクトで、しっかり振り切れることだ。初回は九里の内角141キロを完璧に捉えて右前に運んだ。大山とのエンドランを決めた3回2死一塁の第2打席も、岡田の内角147キロを右前に運んだ。この時、バットは折られたが、しっかり振り切っているから安打ゾーンに飛ぶ。ただでさえ新人は緊張し、アピールしようと力むことが多い。ローテ級の2人相手に冷静にボール球も見極め、自分の打撃で結果を出した。選球眼も抜群の実戦派で、立派のひと言だ。

2安打以上に目を見張ったのは左腕と対戦した第3打席だ。結果はレグナルトの148キロに空振り三振したが、直前カウント2-2からのファウルも体が開かず、最終球もしっかりしたスイングで振り切った。レグナルトは勝利の方程式入りが濃厚で、球の出所が分かりづらそうな好投手だ。直前、右の大山(空振り三振)と中谷(一ゴロ)は全く自分のスイングをさせてもらえなかった。だが木浪は体が開くこともなかった。2日前の打撃練習で対戦したガルシアからも痛烈な打球をセンターに運んでいた。左腕を苦にするタイプでもなさそうだ。

矢野監督がプロ初の一塁で起用したのは、高い打撃力をどこかで生かしたいと考えたからでテストは大正解。遊撃の鳥谷や北條をはじめ、一塁のマルテやナバーロらにも強い刺激を与え、チーム内競争を一層激しくしたことは間違いない。開幕1軍は確実だろうし、レギュラーの一角を取る可能性も十分ある。将来的にも広島田中広のように、パンチ力があり広角に打てる好打者になれる可能性を感じる。楽しみな新人が出てきた。(日刊スポーツ評論家)

阪神キャンプを訪問し糸井(左)と握手を交わす梨田本誌評論家(撮影・上田博志)

野球の国から・平成野球史

米参考ボールパーク化/コミッショナー語る未来図1

インタビューに応じるNPB斉藤惇コミッショナー(撮影・河野匠)

プロ野球の未来像を日本野球機構(NPB)斉藤惇コミッショナー(79)に聞いた。野村証券副社長、日本取引所グループCEOという経歴を持つビジネスマンは、どんな絵を描いているのか。

  ◇   ◇   ◇  

昨季のプロ野球は、1試合平均観客数(2万9779人)が初めて米大リーグ(2万8830人)を超えた。DeNAや広島といった15年前まで閑古鳥が鳴いていたチームが連日の大盛況。2004年(平16)には球団合併の対象だったロッテも球団買収後、初めて年間黒字を記録した。ネット通販のZOZOは球団経営に興味を示した。現状をどう考えるのか。

斉藤 球団数の増減は難しい問題だ。平成の大課題になって、近鉄が消えるとか大きな問題が起きた時に、真剣に新しい参加者の楽天などが討議された。今は非常に安定している。12(球団)で(セ、パが)6、6で。大洋、近鉄など財政的に厳しいところがあったが、今は観客が多い。特に球場を持っているところは収益が安定している。そうでないところも強いチームを持って、経済的な問題がない。だから球団を増やす、減らすという問題は、アクシデントがないと、普通の状態では、ないと思う。

12球団が適正という認識だ。一方で横浜、マツダなど球場の収容人数は限界に近づいている。大リーグは16から30と球団を増やしたが、日本は1958年(昭33)から12のまま。球団増への懸念は、1球団あたり利益の希薄化(ダイリューション)だ。

斉藤 (球団増は)1つの方策ではあるでしょう。「パイが大きくなる」と前向きに考える方も「全体は変わらないのに球団だけが増えて(収益の)ダイリューションを起こす」と考える方もいるでしょう。私が、どうあるべきとする問題だと思わない。総意で「確かに(ファンが)あふれ出したぞ」「じゃあもう1つ2つ」とファンの声がものすごく出てくれば。おかげさまで、球団を持ちたいという方が複数おられます。名前は挙げられませんが。

米国生活が長い。米国を参考に、球団が球場の経営権を所有してのボールパーク化を推奨する。

斉藤 球場施設をみんな持つのがいい。広島など球場のロケーションとか施設によって人気、収益が全然違います。球場のファシリティー(設備)をもう少しビジネス的に面白く。米国は、野球だけじゃなくオフの時に音楽会、フラワーショーとか非常に面白く造っている。3万人で満杯より、もう少し入る施設。これは私たちより、オーナーのビジネス感覚ですからね。(敬称略=つづく)【斎藤直樹】

高原のねごと

仲良しも存在しない「昭和43年会」理由はただ1つ

左から下柳剛氏、金本知憲氏、阪神矢野燿大監督

「オレがヤル!」をキャッチフレーズに掲げる指揮官・矢野燿大が「オレはヤラない!」と宣言した話から書く。

矢野は1968年(昭43)12月生まれ。有名な「3億円事件」が起こったこの年はプロ選手が豊作だったと言えるかもしれない。大リーグ経験組の野茂英雄。さらに長谷川滋利、高津臣吾がいる。阪神では前監督の金本知憲、下柳剛、そして矢野だ。阪神は同学年同士での監督交代となったわけだが、同じセ・リーグにはもう1人、同学年の監督がいる。

今季、昨季リーグ3連覇を達成した広島の指揮官・緒方孝市である。その緒方が先日、面白いことを言った。

緒方 43年生まれはいい選手が多かったんで「昭和43年会」とか、あってもおかしくはないんですけど。ないんです。これが。お互いに仲が悪いとかはないし、グラウンドとかプライベートでも偶然に会ったりすれば普通に話したりはしますけどね。

球界では古田敦也、山本昌らの「昭和40年会」、また三浦大輔、中村紀洋らの「昭和48年会」が有名だ。メンバー的には「昭和43年会」が存在してもよさそうなものだが「ない」という。念のため、矢野にも聞いてみた。

矢野 ああ。ないですね。以前につくろうかという話が出たこともあったけど、結局、できなかったですね。ああいうのは幹事役というか「オレがヤル!」っていう人間がいないとダメなんだけど、いなかったですね。オレもやらないしね。

「オレがヤル!」ではないのか。思わず突っ込んでしまう。まったく違う話だけど。

キャンプも実戦が中心になってきた。21日には宜野座で阪神と広島との練習試合が行われる。宜野座でのTC戦は04年以来、実に15年ぶり。諸事情があって組まれていなかった。だが「阪神宜野座元年」の03年には宜野座で行われた。そのとき仰天したのはケーブルテレビの生中継に両軍の指揮官が登場したことだ。

阪神はもちろん星野仙一。広島は山本浩二だ。そこに阪神チーフ打撃コーチだった田淵幸一も加わっての3ショット。練習試合とはいえ、ちょっと考えられない光景だ。ファンはもちろん、メディアも驚いた。この3人は1946年(昭21)の学年。「昭和21年会」の存在も聞いたことはないが仲は良かった。

新生・矢野タイガースと4連覇を目指す緒方カープの初対決だ。この2人が試合中に並んでテレビに出れば面白いがそんなことは起こらない。なので矢野の「ファンを喜ばせる」目標は、試合内容で達成してほしい。(敬称略)

野球の国から・高校野球編

カップルが手をつなぎマウンドを歩く/香田誉士史3

大学最後のリーグ戦を終えた香田(左)。右上は亜大の入来祐作投手、右下は亜大の森田剛史

指導者への思いに拍車をかけたのが、94年夏の得難い成功体験だった。

駒大4年時の夏休みを前に、香田は母校、佐賀商(佐賀)の臨時コーチとして甲子園に付き添った。大正時代創部という歴史の中で、OBたちから「甲子園出場では史上最弱」と言われたチームがあれよあれよと勝ち進み、県勢初優勝。最後は決勝史上初の満塁本塁打まで飛び出した。

香田 びっくりした。勝つたびに選手たちは「俺たちは強い」って、すてきな勘違いをしていった。あのチームで全国制覇できるんだから、北海道のチームでできないっていうことはないんだよ。

後に駒大苫小牧の監督になった時、この体験がどれほど励みになったことか。

この時、香田の指導者としての適性を見抜いていた人物がいた。東都リーグが誇る名将で、05年まで駒大監督を務めた太田誠(81)だ。

太田 香田はいいリーダーなんだと思った。選手時代もベンチで元気良く声を出していた。先天的に前向き。腐ることがない。練習中も、先頭に立って走っていた姿が目に浮かぶよ。

駒大苫小牧から太田のもとへ野球部監督の相談があった時「直感的に香田がいいと思った」と、真っ先に頭に浮かんだ。

香田 母校で指導者になりたかったから、商業科の教員免許を取るため大学に残っていた。なのに、おやじ(太田監督)が「次男なら、どこへ行ってもいいな」って。「あれ? 俺、2年間大学残るって監督に言わなかったっけ?」と思ったけど、逆らうなんてできないでしょ。

大学の総務部で振る舞われたカツ丼を「なんか丸め込まれちゃったな」と思いながらも、おいしく食べた。進路が、決まった。

北海道内ですら、高校野球で駒大といえば「ヒグマ打線」でセンバツ4強入りした駒大岩見沢が有名だった時代。社会科教員の資格はあったが、苫小牧と聞いてもピンとはこなかった。初めて駒大苫小牧を訪れたのは、95年の初冬。駒大苫小牧野球部は秋の室蘭地区予選で早々と敗れて以降、監督が不在だった。

香田 グラウンドに行ったら選手がランニングしていた。ユニホームは着ていないし、長髪もいる。「髪、長いんだね」って聞いたら「オフは伸ばします」って返事に愛想がない。

キャッチボールをさせても、塁間の半分の距離ですら悪送球やワンバウンドになった。専用グラウンドはあったが、どれだけ整備しても、一般生徒が当然のようにそこを突っ切って登下校した。

香田 正直「えーっ」て。自分がやってきた野球とはズレがありすぎた。一般生徒にもなめられてた。自転車でグラウンドに入るなんて、とんでもないよ。注意したら「こっちの方が近いべや」だって。放課後には、カップルが手をつないでマウンドの上を平気で歩いて行くんだから。こんな風に思われて、情けないチームだなって。

佐賀の名門校で甲子園に出場し、大学球界の最高峰でプレーしてきた身にとっては、異次元の世界。ゼロからのスタートだった。(敬称略=つづく)【中島宙恵】

(2018年1月29日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)

番記者コラム・オリックス

猛アピール続ける後藤、覚悟を胸にスタメン奪取狙う

後藤駿太は右二塁打を放つ(2019年2月20日撮影・渦原淳)

今季9年目を迎えるオリックス後藤駿太外野手(25)が、宮崎春季キャンプで猛アピールを続けている。ここまで紅白戦6試合に出場し、12打数4安打1打点1盗塁をマーク。後藤は「余裕を持って打席に立てている。いい準備ができて試合に臨めていると思います」と明るい表情で語った。

登録名を「駿太」から「後藤駿太」に変更して臨んだ昨季は悔しいシーズンとなった。新人の11年には開幕スタメンを勝ち取り30試合に出場。13年から5年連続で100試合以上に出場するなど、オリックスの中心選手として活躍。しかし昨季は33試合の出場にとどまり、打率も2割1分6厘と奮わなかった。

減俸となった昨オフの契約更改時には「悔しかった。情けないし『無』な感じで何もなかった」と悲愴(ひそう)感漂う表情で昨季を振り返った。しかし首脳陣の期待も込められ、今春のキャンプは1軍スタートで迎えた。

「1軍スタートだとは正直思っていなかった。このチャンスを生かしたい。首脳陣には全部見てほしい。言葉にすると責任も出てくる。それくらい自分にプレッシャーをかけないと。今年はそういう年なので」

現在打撃フォームの改善に取り組み、状態を上げてきた。「下半身をしっかり使って、あんまり振りすぎないことをテーマにしています。100%じゃない力でインパクトの時に体の力が抜けないように」。さらに「左肩が出ないように、なるべく胸が投手に見えないように意識しています。今は納得する形でできていると思う」と明かした。

20日の紅白戦でもアピールに成功。「9番中堅」で出場。5回1死走者なしからの第2打席。斎藤の高めの直球を右前に運び、守備がもたつく隙をついて二塁打とした。「常に次の塁を狙うのがチームの方針。あとは自分が外野をやっていてわかるんですけど、体が立った状態でゴロをとると次に投げにくいので」と説明した。

守備でも4回1死走者なしから宮崎が放った右中間に抜けそうな打球に追いつき見事キャッチ。試合後に西村監督は「駿太は守備が持ち味ですから。その中で打者でもアピールしてくれているので、外野の争いは激しくなりますね」と評価した。

後藤は「泥臭さというか、何事にも一生懸命な姿を見てほしいし、そうでなければいけない」と覚悟を口にする。23日から始まる対外試合に向けて「もっとチャンスは減ってくると思う。気を引き締めてシーズンと同じ準備をして集中力を持って臨みたい」と力を込めた。好調を維持し、激しい外野手のスタメン争いを勝ち取れるか、注目だ。【古財稜明】

野球の国から・平成野球史

1カ月で200億円買収劇/ソフトバンクの誕生

04年12月、福岡ドームで王監督(左)と握手する孫社長

2003年(平15)の福岡ダイエーホークス売却案に端を発した球界再編問題を掘り下げる。04年9月18、19日に「ストライキによるプロ野球公式戦中止」という事態が起こるほど、平成中期の球界は揺れた。それぞれの立場での深謀が激しくクロスし、大きなうねりを生む。

  ◇   ◇   ◇

ホークスにとって「平成」は激動の時代であった。昭和最後の年に南海からダイエーとなり、福岡に移転。そしてまたも球団は親会社の手を離れた。

1989年(平元)から16年目のシーズンが終わった04年秋。ダイエーがついに力尽きた。2兆円にも及ぶ有利子負債に苦しんだ小売業界の雄は、ついにホークスを手放した。福岡事業と称した球団、ドーム球場、ホテルの「3点セット」のうち、すでに1年前にドーム球場とホテルを投資会社である米コロニー・キャピタル社に売却。一線を退いていたダイエー創業者の中内功は「福岡事業は聖域」と言い続けたが、その思いもむなしく散った。

「球界再編問題」は近鉄とオリックスの合併に端を発したものの、この合併が表面化する1年も前から「ダイエー身売り」はくすぶり続けていた。球界の経営者は2つの合併を模索し、1リーグ移行を描いた。今日の12球団維持は、合併に徹底反抗したダイエーの“遺産”と言えなくもない。

王ダイエー5年目の99年にリーグ制覇。勢いそのままに、星野中日を下し日本シリーズを制した。リーグ連覇した00年は日本シリーズでの「ON対決」が実現した。ミレニアムを迎えホークスは強くなった。03年にも4年ぶりの日本一。そして04年…。右肩上がりのチーム状況に反比例して、親会社は自主再建を断念した。

産業再生機構入りは文字通り「国営球団」にほかならない。野球協約上、認められず身売りを余儀なくされた。余談ではあるが、当時、産業再生機構の社長であった斉藤惇が現在、プロ野球コミッショナーというのも何とも不思議な因縁を感じる。

ホークス買収に名乗りを上げたのは情報通信会社のソフトバンクだった。ダイエーの産業再生機構入りに歩調を合わせ買収に乗り出した。当時ソフトバンク本社の財務部長で、現在ホークスの球団社長兼オーナー代行の後藤芳光は約1カ月の短期間で案件をまとめた。

後藤 これまで多くの買収案件に携わったが、その中でもホークス買収は一番大変で難しかった。(買収案件として)話があったのは10月に入ってから。普通の買収案件であれば、1対1の話し合いで済むが、ホークスの場合は(ドーム球場を保有する)コロニー・キャピタル社、ダイエー本社、NPB、プロ野球選手会、銀行団、産業再生機構、それに福岡の地元経済界の7社会…。これだけのところと1カ月足らずで調整する必要があった。

買収総額200億円。内訳はドーム球場を含めた興行権を持つ運営会社(ホークスタウン)が150億円、球団は50億円だった。本格的に携帯電話事業に乗り出そうとしていたソフトバンクにとって、ホークスは最高の「広告塔」となった。(敬称略=つづく)【佐竹英治】

ソフトバンク球団社長兼オーナー代行の後藤芳光氏(18年11月28日撮影)
番記者コラム・楽天

ドラ7位小郷裕哉、遅咲きの大学時代いかした冷静さ

守備練習で軽快な動きを見せる楽天小郷(2019年2月4日撮影)

われながら、少し意地悪な質問だったと思う。「焦る気持ちも?」。17日までの実戦3試合で4打数無安打だった楽天ドラフト7位の小郷裕哉外野手(22=立正大)に聞いた。16日のロッテ戦ではドラフト6位の渡辺佳明内野手(22=明大)が12球団のルーキー最速で「対外試合1号」をマーク。翌17日のロッテ戦ではドラフト1位辰己涼介外野手(22=立命大)が実戦初安打を本塁打で飾っていた。

分かりきった問いに、小郷は的確な自己分析で返してくれた。「追い込まれた時の変化球、特に落ちる球が、大学生よりもいいところというか、自分に近いところで変化をするので、その見極めですね。ボールを長く見て、内側をたたき、セカンドより45度逆方向に打っていくイメージ。きれいなヒットを求めすぎているところがあるので、泥くさく、詰まった内野安打とかでもいい」。金森1軍打撃チーフコーチとの取り組みを理路整然と話した。

今年の楽天の新人野手では最も遅い指名だったが、プロ志望届を出したのは一番早かった。1年春からベンチ入りして2度の甲子園出場も経験した岡山・関西高時代に指名漏れを経験。当時6球団から調査書が届いていたものの、名前は呼ばれなかった。東都2部だった立正大に進んだ時のことを「大学野球を、ちょっと下に見ていたところもありました」と正直に告白する。すぐにレベルの高さに気付かされた。そして「誰も『ああしろ、こうしろ』とは言わない」。試合に出るために何をどう磨くか。ひたすら考えた。ベンチ入りは2年春、レギュラーになったのは3年春からだった。

「周りがプロと大学生という違いはありますけど、今の状況って、大学に入った頃と少し似ているんです。聞きにいけば教えてもらえるけど、誰も助けてくれるわけじゃない。自分がやるしかない。逆に、高校を出てすぐにプロに入っていたら、どうなっていたか。そんな風に考えることはありますよ」。大学での経験があったから、今の自分がある。22歳は必死に、それでいてどこか冷静にもがいている。【亀山泰宏】

高原のねごと

“助っ人あるある”ロサリオで明確、マルテよ対応を

練習を終え笑顔を見せながら宿舎に引き揚げるマルテ(撮影・上田博志)

この日、宜野座の最高気温は26度だった。「さすが南国・沖縄やな」。そう思うかもしれないが、この時期にここまで気温が上がるのは地元でもめずらしい。沖縄気象台は前日18日、同地方に「高温に関する異常天候早期警戒情報」を発表している。

この日の天気予報は午後から雨だった。午前中は蒸し暑さでフラフラになるほど。韓国KIAとの練習試合は当初の試合開始時間を10分だけ早めて始まった。しかしザーッと来た降雨に負け、中止になった。ファンもメディアも期待していた新加入ジェフリー・マルテの“対外試合デビュー”はお預けとなった。

さっさと宜野座を後にしたKIAには日本人コーチがいる。正田耕三。広島の内野手として鳴らし、引退後は阪神などでコーチを務めた。最近は韓国球界で指導を続けている。そんな正田の名前がメディアに盛んに出たのは昨春だった。理由は昨季、阪神にいたウィリン・ロサリオだ。

大リーグ経験のあるロサリオだが16、17年と韓国ハンファで2年連続3割30発以上をマークしたことで名を売り、阪神に来た。そのロサリオをハンファで指導したのが正田だったからだ。

期待通り、ロサリオは昨春のキャンプではすさまじい打棒を披露した。だが開幕後は調子が上がらず、1年限りで自由契約となった。正田にあいさつをすると、どうしてもその話題になってしまう。

正田 う~ん。なあ。あかんかったなあ。左のカベを意識し過ぎて右足がうしろに下がる変な打ち方になってたもんな。なんでかな。指導がうまくいかなかったんかなあ。

和歌山出身の正田は首をひねりながら、そう話した。指導方法については昨季から焦点になっていたが、それだけでもない。やはり日本独特の内角攻めで打撃を崩された面はあるのだろう。若者風? に言えば「助っ人選手あるある」なのだ。

新しく来たマルテには、そこをどう伝えているのか。打撃コーチの浜中治に聞いてみた。浜中は慎重だった。

「まだ特に何も言ってないです。対外試合もまだだったし。2、3日中には言おうと思ってますけどね。内角球を意識しすぎるな、ということでしょう。やはり、そこは戸惑うかもしれませんから」

新加入の外国人選手に対する他球団からの「内角攻め」は必ず起こる出来事だ。暑くなる、雨が降るといった予報も当たる昨今、最初から分かりきったことに対する対応はうまくやってほしいと願う。もちろん克服できるかどうかは本人の技量に関わる部分なのだが…。(敬称略)

満塁本塁打を放った元阪神ロサリオ(2018年8月7日撮影)

野球の国から・高校野球編

警察に2度補導…父が死んで荒れた/香田誉士史2

89年夏の甲子園2回戦、神戸弘陵戦で右翼へソロ本塁打を放つ佐賀商・香田

雪上練習で雪国のハンディを乗り越えた反骨心は、父の影響が大きい。香田は1971年、佐賀市で次男として生まれた。父明宏について「1本筋が通っていて曲がったことが大嫌いな人だった」。5歳上の兄博文の影響で小2で野球を始めてからは、父が道具を手作りし、毎日のように庭先で練習を手伝ってくれた。

小学生の頃、親戚一同が集まった正月の宴席での出来事だった。酔っぱらった親戚の1人が、当時、佐賀商野球部の兄に「高校入っても、補欠なら意味ないやろ」と絡み出した。「レギュラーかどうかなんて関係ねえや! 3年間、務め上げるのが大事なんだ」。取っ組み合いのケンカが始まりそうなほど激怒した父の姿が、忘れられない。

香田 誠実な人だった。おやじの考え方は、今も自分の根っこに染み付いている。試合に出なくても何とかしようという子たち、一流じゃなくても頑張る子ほど気になって仕方がない。それは、おやじから俺へのプレゼントだった。

電設工事の仕事をしていた父は、台風が来れば家々の屋根に上がってアンテナを直すなど、地域の人たちから頼られた。「おやじは俺のヒーローだった」。その父が49歳で他界したのは中学2年の時。食道がんだった。

香田 高校が佐賀工出身だったからラグビーが好きで。本当は俺にも佐賀工でラグビーをやって、花園を目指して欲しかったんだと思う。死ぬ間際に「お前は運動神経がいいけん、ラグビーせんか」って。それが、最後の言葉だった。

父を失った寂しさはなかなか埋まらず、私生活は荒れに荒れた。額の生え際に見事なM字を描くそり込みは、当時の名残だ。他校の生徒とケンカになって警察に2度、補導され、佐賀商の推薦入試にも落ちてしまった。でも、絶望はしなかった。「推薦がダメなら一般入試で入ればいい」。反骨心に、火が付いた。

小中高と同じチームでプレーした幼なじみで、現佐賀商監督の森田剛史(46)が、懐かしそうに振り返る。

森田 小学校の時は僕ら2人が主役で3、4番。中学の時は練習をサボっていたけど、高校に入ってからは見違えるくらい真面目に練習してた。彼の良いところは「徹底」なんですよ。

「推薦組には絶対に負けない」と決めた香田は、居残りの練習量で他を圧倒し、授業中も机の下でダンベルを手に肉体を鍛えた。高3の夏、甲子園で描いたアーチは努力の結晶だった。

プロを目指していたから、大学は東都リーグの強豪、駒大を選んだ。亜大へ進んだ森田は、リーグ戦で何度も対戦することになる。

森田 香田はバリバリのレギュラーではなかったけどムードメーカーだった。高校野球みたいに全力疾走。神宮ガイドブックに「駒大の香田君はベンチからレフトのポジションまで10秒で行く」って書かれてましたもん。神宮でそんな選手いないから目立っていた。

当時の東都はドラフト上位でプロ入りした選手がひしめいていた。「周りのレベルの高さを見たら全然違うじゃんって」。選手としての限界を悟った時、自然と選んだのが指導者の道だった。(敬称略=つづく)【中島宙恵】

(2018年1月28日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)

評論家コラム

阪神マルテ物足りない、修正能力ないと…/梨田昌孝

梨田氏のチェックを受けながらフリー打撃をするマルテ(撮影・上田博志)

昨季まで楽天監督を務め、4年ぶりに日刊スポーツ評論家に復帰した梨田昌孝氏(65)が19日、阪神の沖縄・宜野座キャンプを視察した。注目したのは中軸候補の新外国人ジェフリー・マルテ内野手(27=エンゼルス)。チームの浮沈を握る存在だけに、シーズンでの活躍に期待を込めて辛口の指摘と助言が相次いだ。【取材・構成=松井清員】

   ◇   ◇   ◇

KIA戦を前にしたマルテのフリー打撃を見たが、おとなしさ、物足りなさを感じた。最初の10~15球でセンターから右を意識するのは分かるが、キャンプももう19日目。体も一番動いてきて持ち味をアピールできる時期だが、その後も同じようなスイングで柵越えも少なく、パワーは感じられなかった。日本人を差し置いて起用する“中軸期待の助っ人”なら、20本塁打は打って欲しいのが監督の願いだ。これから状態を上げていくのだろうが、今日の時点では疑問符をつけざるを得ない。

試合前に行うフリー打撃は対戦相手、特に投手はよく見ている。そこで怖さを与えられるかどうかが重要で、実際の打席で優位に立てるか、不利に立つかの分かれ道になる。強引にでも引っ張って、甘い球がいけば危ないぐらいのスイングを見せることはとても大切だ。でもナバーロと同じく、2人のスイングに怖さは感じられなかった。甲子園では右打者に優位に吹く浜風がある。その浜風を利用するのが成功の近道で、引っ張って打球を上げる練習に時間を割いてもいいのではないか。

技術面でも気になる点があった。打ちに行った時に左肩が少し内に入る傾向がある。その分、真っすぐに遅れて差し込まれたり、変化球に泳がされる危険性がある。実際にこの日、打者に気持ちよく打たせるはずのフリー打撃でも、タイミングが合わない場面が目立ったのはそのためだ。相手が必死に抑えにくる試合では、もっとタイミングを外される可能性がある。その課題を早く知る意味でも、KIA戦を雨で流したのは残念だった。もちろん今後実戦を重ねる中で改善していくのだろうが、どれだけ修正能力を持っているかも成否を分ける。(日刊スポーツ評論家)

宜野座を訪れた本紙評論家の梨田氏、左は清水ヘッドコーチ(撮影・上山淳一)

高原のねごと

北條は“野球向き”広島支える東出コーチの面白発言

<練習試合:広島8-0韓国KIA>◇18日◇沖縄・コザしんきんスタジアム

8回裏阪神無死、遊撃内野安打を放つ北條(2019年2月17日撮影)

ホント、こんな試合を見せられたらかなわん。コザしんきんスタジアムで行われた広島と韓国KIAの練習試合。話題の長野久義は簡単に打つわ、勝負の10年目・堂林翔太もバックスクリーン弾だわ、メヒアもでかい1発だわ。鳴り物入りルーキー・小園海斗も出てくるし。極め付きは鈴木誠也の流し打ちで右翼席へたたき込む3ランときた。

「あんなの風ですよ。風」。韓国の知らない投手から打って、それがどうしたんだとばかりに笑う鈴木。確かに右方向へ強い風が吹いていたが、おそろしくビルドアップされた体でそう言われてもな。新しい背番号「1」が細く見えるではないか。この日に限れば投手陣もよかったし、ホント、こんなチームとペナントを争うのか。阪神。

コラムを書くこちらが弱気になっていても仕方がないのだが、なんとなくそんな気分でいると旧知の顔に会う。東出輝裕。広島の豪快な打線を指導する打撃コーチだ。声を掛けると「阪神は話題がないんですか」とニヤリ笑う。何を言うとる。いろいろあるぞ。あるかな。あんまり、ないかも。まあ広島の方が多いのは認めざるを得ない。

4連覇を目指す広島、話題の1つは小園をどうするか、かもしれない。これはもう勝手に書くが不動の遊撃手・田中広輔がいる現状で小園の出番は簡単には来ない。なにしろ3連覇の遊撃手だ。故障などのアクシデントは別にして、1軍キャンプに来ている小園だが、まずはファームでじっくりというところだろう。広島は甘くない。

それだ。阪神にも話題があるぞ。遊撃争いだ。真価が問われる北條史也に、ベテラン鳥谷敬。そこに挑戦するルーキー木浪聖也の存在だ。広島のそれとは何となく違う感じだけど阪神にとっては大きな問題だ。そこで東出が面白いことを言う。

「ショートね。新人の木浪はいいですね。でも北條は“野球向き”ですよ。ウエスタン(リーグ)でいっしょに戦っていた感じから言うとね」

野球向き? そりゃ、プロ野球選手だしな。

「なんていうのかな。例えばコーチとかに何か言われて、口でハイハイって言って腹のなかでは何を考えているか分からないような感じもありますし。元々、関西でしょ。関西人は野球向きですよ」

よく分からないが分かるような気もする。いい意味で北條にふてぶてしさを感じるのはこちらも同じ。この春、スイングも鋭くなっているし、鈴木誠也と同期の高卒7年目。4番打者とは言わないにしても攻守にしぶとい仕事を期待したい。(敬称略)

サブグラウンドで早出特守で汗を流す北條(左)と植田(2019年2月15日撮影)

野球の国から・高校野球編

「外に出ろ。白いか黒いかの違いだ」/香田誉士史1

全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える今年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。名物監督の信念やそれを形づくる原点に迫る「監督シリーズ」の第6弾は、2004年(平16)夏の甲子園で北海道勢初優勝を飾った駒大苫小牧の香田誉士史さん(46=現西部ガス監督)です。雪国の常識を覆す練習法で同校を史上6校目の夏2連覇へ導きました。「徹底力」と「反骨心」でハンディを乗り越えた開拓者の挑戦を全5回でお送りします。

05年1月、雪が残り、ピカピカに凍ったグラウンドで練習する駒大苫小牧の選手たち

「外に出ろ。グラウンドが黒いか白いかの違いだ」。香田がそう言った時、何人もの選手が耳を疑ったに違いない。04年の全国制覇で一気に知名度を上げた駒大苫小牧の冬の1日。外野ノックから始まり年々エスカレートしていった雪上練習は、いつしか紅白戦にまで発展した。一面真っ白の雪に覆われたマウンドには、後の沢村賞右腕で、現ヤンキースの田中将大も立ったことがある。

香田 将大には「甲子園だと思って投げろ」って言ったよ。ケガをする。肘を壊す。風邪をひく。そういう声はいっぱい耳にしたけど、言われれば言われるほど「うるせーよ」と。選手が、どんどん進化する。春が来なくてもいいなって思うほど楽しかった。

95年に、九州生まれの香田が駒大苫小牧に赴任してから長年「壁」となっていた冬は、10年近くたった頃、力を蓄える絶好の季節へと変貌していた。

北海道の冬は厳しい。1年のうち約5カ月もの間、グラウンドは雪に閉ざされる。太平洋に面し雪が比較的少ない苫小牧市も、例外ではない。その間、室内練習場や体育館で基礎練習を行うのが、この地方の常識だった。せっかく技術が上達しても、雪解けの頃には後退している。悩める香田を救ったのが、社会人野球の大昭和製紙北海道(94年にクラブチーム化の後、解散)で選手、監督として活躍した我喜屋優(67=現興南監督)だった。

我喜屋 北海道は冬は室内っていうのがある。「それじゃあ冬眠する熊さんと一緒だね」って言ったんだ。発想の転換。室内でも練習はできるけど、個人の動きしかできない。ならば、外でやればいい。

沖縄出身の我喜屋と佐賀育ちの香田は「外様同士」で馬があった。「目からウロコ。北海道人になりかけていた時にブスッて刺された感じ」という香田は、さっそく雪をどけ、選手を屋外に集めた。

香田の赴任4年目となる98年から在籍した磯貝剛(35=現室蘭シャークス監督)が苦笑いする。

磯貝 最初に聞いた時は「マジで!?」と思った。寒さは全然、感じない。恐怖心しかなかった。イレギュラーが多くてキツイけど、意外とやれちゃう。

練習をボイコットされたこともあった。スライディングでは二塁で止まれず、左翼前まで滑って行く選手がたくさんいた。それでも、春になって実戦を行うと、サインに対する反応は格段に良くなった。ヒントを与えた我喜屋が言う。

我喜屋 僕は香田の反骨精神を利用しただけ。寒い中で頭を使っていると、心も強くなる。雪解けとともに、精神力はもっと強くなっている。

西部ガスの新球場でコーチと話し合う香田誉士史監督(右)

04年夏からの3年間は、北海道民にとって「奇跡の夏」だった。全国高校野球選手権で深紅の大優勝旗が白河関どころか、一気に津軽海峡を越えた夏。翌年の2連覇。3年連続で決勝に進み最後は準優勝に終わったが、駒大苫小牧の活躍は北海道の短い夏を熱狂に包み「幻の3連覇」と呼ぶ人まで現れた。

小中高と一緒だった幼なじみの森田剛史(46=現佐賀商監督)は、香田のことを経営学者ドラッカーの言葉を借りて「チェンジリーダー」と表した。常識を覆すことを恐れず、変化を生む。初優勝時33歳の九州から北海道にやってきた青年監督の情熱と反骨心は、宿敵だった雪さえも溶かしエネルギーに変えた。(敬称略=つづく)【中島宙恵】

◆香田誉士史(こうだ・よしふみ)1971年(昭46)4月11日、佐賀県佐賀市生まれ。佐賀商で春夏3度の甲子園出場を果たし、駒大に進学。95年駒大苫小牧に赴任し、翌年監督就任。01年夏、同校を35年ぶりの甲子園に導き、04年夏、北海道勢初の全国制覇。翌05年には57年ぶり史上6度目となる夏の甲子園連覇を果たした。06年夏は早実との決勝再試合の末、準優勝。07年夏、初戦敗退後に辞任し、08年3月退職。鶴見大、社会人野球の西部ガスでコーチを務め、17年11月に西部ガス監督就任。家族は妻と2男。

(2018年1月27日付本紙掲載 年齢、肩書などは掲載時)

番記者コラム・日本ハム

ライバルだけど…いつも一緒 吉田輝星と柿木蓮

ブルペン投球する吉田輝星(左)と柿木蓮

プロ野球界のキャンプが幕を開け、同時に新人選手たちもプロ選手としてのキャリアをスタートさせた。ダルビッシュや大谷らスターを輩出してきた日本ハムに、今年も甲子園を沸かせた多くのルーキーが入団した。

特に注目を集めているのが、ドラフト1位吉田輝星投手(18=金足農)と、同5位の柿木蓮投手(18=大阪桐蔭)だ。昨夏の第100回の甲子園決勝で戦った準優勝投手と優勝投手。互いにU18日本代表メンバーとして戦った仲間であり、ライバルでもある。競い合う相手でありながら、面白いのはキャンプ中の行動がいつも一緒であること。

沖縄・国頭での2軍キャンプ中、必ずと言っていいほど、毎朝宿舎から徒歩で2人並んで球場入り。高卒新人投手は2人だけということもあるが、ほぼ同じタイミングでブルペン投球を重ねるなど、ともに刺激し合いながら前進している。宿舎ではもちろん同部屋。吉田輝は就寝時に、よくいびきをかくという柿木に「やかましいですね」と笑う。吉田輝も柿木も、互いの話題になると笑みがこぼれる。

16日、プロ初の実戦となった紅白戦では、両者先発投手として昨夏の甲子園決勝以来の投げ合いが実現。多くのファンが球場前で待ち構える中、2人並んで球場入り。ライバルはライバルだが、球場を出れば、同い年であり良きチームメート。互いに切磋琢磨(せっさたくま)し、成長へとつながっていく姿を追っていきたい。【山崎純一】

評論家コラム

ヤクルト・マクガフ脅威155キロは出る/中西清起

日刊スポーツの評論家陣が、阪神のライバルのセ・リーグ5球団を敵情視察する「潜入」企画。第4回は元投手コーチの中西清起氏(56)が18日、開幕で当たるヤクルトの浦添キャンプを訪問。

課題の投手補強に力を入れて先発期待のアルバート・スアレス(29=ダイヤモンドバックス3A)やセットアッパー期待のスコット・マクガフ(29=ロッキーズ3A)らを獲得したツバメ軍団に警戒感を強めた。【取材・構成=松井清員】

   ◇   ◇   ◇

中西氏が目を見張ったのは新外国人右腕コンビだった。先発期待のスアレスとセットアッパー期待のマクガフがフリー打撃に初登板。相手は塩見や西浦、山崎、奥村らの若手だったが、力強い真っすぐで圧倒する場面が目立った。

中西氏 ともにタイガースが苦手とする速球派だ。スアレスは147~148キロ出ていたけど、試合ではもっとアドレナリンが出て150キロは出るはず。より脅威なのはマクガフで、この日も最速が152キロ。こちらも試合では155キロは出るだろう。制球も安定していて、クローザーを張れる可能性もある素材だ。

昨年、首位広島に7ゲーム差の2位だったヤクルトのチーム打率は、リーグトップの2割6分6厘。一方投手陣の防御率4・13は同4位で、課題は明らかだった。そこでこのオフ、この両助っ人を獲得。日本ハムとのトレードでは、セットアッパーの秋吉を出して先発タイプの高梨を取った。また、ソフトバンク戦力外の寺原と五十嵐の実績組も先発と中継ぎで加入。野手の補強は日本ハムから移籍の太田1人で、力の入れ具合が顕著だ。ドラフトも1位の清水ら8人中5人が投手だった。

中西氏 昨年やりくりに苦しんだ先発と救援陣が相当厚みを増した。攻撃陣は山田哲やバレンティン、雄平らの状態が良さそうで相変わらず強力。広岡や村上ら若手の大砲候補も伸びている。阪神はただでさえ昨年ヤクルトに10勝15敗と負け越し、しかも10連敗で終わっただけに、開幕3連戦で当たるにはイヤな相手だ。開幕投手を務めるであろうメッセンジャーが強力打線を7回3、4点に抑え、打線が開幕に来るであろう小川から少ない好機を生かさないと勝機は遠のく。しかも開幕戦で流れを渡すと2、3戦目はより厳しくなる。ヤクルト戦後も巨人、広島と昨年の上位3強が続くだけに、浮沈を左右しかねない大事な3連戦だ。

ヤクルト新外国人右腕のスアレス(左)とマクガフ

評論家コラム

中日根尾センスは光る、ひ弱さ克服が課題/和田一浩

フリー打撃を行う中日根尾(左)。右端は和田氏(撮影・鈴木みどり)

日刊スポーツ評論家の和田一浩氏(46)が注目のゴールデンルーキー、中日ドラフト1位根尾昂内野手(18=大阪桐蔭)をチェックした。まだまだひ弱さは残るものの、センスの良さは間違いなく一級品だ。

   ◇   ◇   ◇

トス打撃をしている根尾の姿に、思わず見とれてしまった。どこかが特別に「すごい」という部分はないのだが、全身からセンスの良さがあふれていた。少し前まで金属バットを振っていた高卒ルーキーとは思えないような「しなやかさ」を持っていた。

打撃フォームで難しいのが「しなやかさ」を出すこと。バットをしなやかに振るためには、下半身から上半身、そして肘→手首、指といった関節を順序よく使う必要がある。ここがスムーズに流れると、それほど力を入れているように見えなくても鋭いスイングが可能。「硬い」と言われる打者は、この順番がスムーズに流れず、すべての箇所が同時に力が入ってしまうような打ち方になってしまう。

ただ、トス打撃からフリー打撃になると、さすがに力が入ってしまうのだろう。体幹に力があればいいのだが、まだまだひ弱い。トス打撃でぶれなかった軸回転ができず、バットの軌道も乱れていた。右ふくらはぎを肉離れし、十分な練習ができなかった分を差し引いても、まだまだ力強さに欠ける感は否めなかった。

2軍とはいえ、注目度の高さは半端ではない。ペッパーの初球で打ち損じただけでも、スタンドがざわめいていた。決して悪意のあるざわめきではなく、ほほ笑ましいざわめきだったが、キャンプで出遅れた「負い目」もあるだろう。性格が真面目な分、余計な圧力にならなければいいと心配になった。

痛めた右ふくらはぎというのは厄介な場所で、走る以外でも打撃や守備に影響することがある。焦らず、じっくりと一流選手の階段を上ってもらいたい。(日刊スポーツ評論家)

高原のねごと

大田成長させた日本ハム、伸び悩む藤浪もウチなら…

<練習試合:阪神4-4日本ハム>◇17日◇沖縄・宜野座

7回表日本ハム1死、大田は左越え本塁打を放つ(撮影・上山淳一)

日本ハム戦、もっとも盛り上がったのは残念ながら? 敵軍・大田泰示の本塁打だったかもしれない。前日から合流したデスク松井清員もぽか~んとした顔で「漫画みたいなホームランですね」。まさにそんな表現がぴったりの豪快なアーチだった。

大田は言うまでもなく巨人の08年ドラフト1位だ。東海大相模から鳴り物入りで入団した。しかし巨人での8年間は正直、伸び悩んだ。16年オフにトレードで日本ハムへ移籍。すると17年にいきなりキャリアハイの15本塁打をマーク。18年も14本塁打を放った。生まれ変わったと言っても過言ではないだろう。

日本ハムはおそろしい。ダルビッシュ有、大谷翔平の超大物を大リーグに送り出し、いまは阪神が欲しかった清宮幸太郎の成長を待ち、さらにはルーキー吉田輝星をじっくり育てている。セ・リーグの広島同様、新人選手の発掘、育成には他球団と比べても大きな力を持っていると言わざるを得ない。

補強の責任を持つGMは吉村浩だ。かつてデトロイト・タイガースで大リーグ・スタイルを学び、阪神でもフロントとして勤めていたこともある。旧知の吉村に「日本ハムはすごいでんな」という話をすると、決まってニヒルに笑いながらこう言う。

「まあ、ウチはロマン派なので。ロマン以外、何もありませんので」

ロマン派。分かるようで分からない。自分なりに解釈すれば、アマ球界で名前を残し、野球ファンが知っている選手を大事にしたいということのようだ。そして指揮官・栗山英樹も吉村と同様の感覚を持っている。そんな2人と雑談すると口をそろえるのが阪神のある選手に関してだ。

藤浪晋太郎。この日も試合後、栗山に藤浪の感想をたずねると「藤浪クン。いいですね。スケールの大きな選手は大好きです。本当に」と話した。吉村にしろ栗山にしろ、もちろん口にはしないが「ウチなら藤浪を超一流にできるんだけど」という自信を持っているように思える。

そんな日本ハムの前で好投を期待した藤浪だったが、正直、パッとしなかった。真っすぐの球速は出ていたものの、それで空振りを取れないし、制球もまとまらなかった。「りきんでましたね。もう少し攻めていきたかったけど」。リードした梅野隆太郎もそう表情を曇らせた。

藤浪の復活。矢野燿大率いる阪神の大きなテーマはそれだと思っている。いつも書くが、それは阪神だけでなく日本プロ野球の問題でもあるからだ。(敬称略)

3回表日本ハム1死一、三塁、清宮に中前勝ち越し適時打を浴びる藤浪晋太郎(撮影・上田博志)

野球の国から・高校野球編

「身体に電気が走った」智弁和歌山戦/前田三夫5

1998年夏の甲子園、浜田に敗れた帝京の前田監督(右端)と森本稀哲(右から3人目)

帝京監督の前田三夫は、指導に自主性を取り入れた。72年の監督就任から25年以上がたち、かつてスパルタが当たり前だった時代は過ぎた。時代の変化とともに高校野球も変わる。そう感じたからだった。

98年夏、森本稀哲(元日本ハム)に主将を任せたチームには、練習メニューや練習時間も自分たちで考えさせた。そのチームが、甲子園出場を果たした。

「その時は、やっぱり考えたよね。指導者としてこんなに楽なことはない。生徒にやらせれば勝てる。なるほどな。こういう方法もあるんだと。半面うれしかった部分がありますよ」

ただ拭い切れない違和感はあった。「甲子園に出れば、みんな目がギラギラしますよ。そういうものはなかったね。違う空気が流れている。ベンチの中が普通の練習試合みたい」。過去のチームは甲子園に入れば、コンビニなどを含めて一切外出禁止にした。ただ自主性を取り入れたチームには、それも許した。

甲子園では、3回戦でソフトバンク和田を擁した浜田(島根)に敗れた。最後の夏を終えた選手は、宿舎に戻って控え選手たちと抱き合う。レギュラーは謝り、涙で感謝を伝え合う-。

「そういう感動的な場面は今まではありましたよ。でも宿舎に帰ったら、レギュラーと補欠が『終わったぞー』って言って抱き合った。がっかりしたね。良かれと思って時代の流れに乗ったけど、今の帝京の野球部は違うと。自分自身、分からなくなりましたね」

スパルタもダメ、自主性もダメ…。「指導する上で何が一番いいのか。とにかくあえいでましたよ。だから原点を見たかった」。

秋季大会後、試験期間中に休暇を取って単身米国に自費で向かった。英語は分からない。「カンで乗ったよ」とロサンゼルスからサンディエゴにプロペラ機で向かった。パドレス-ヤンキースのワールドシリーズ真っ最中だった。ヤンキースが4連勝したシリーズで、パドレスファンの姿に心を動かされた。

「負けていても、点を取れなくてもスタンディングで選手を出迎える。これだなと。勝っても負けても感動というか、素晴らしいというものを、これからの帝京は見せないとダメ。そう感じましたね」

帰国すると、すぐに選手たちを集めた。帝京は昼休み3合ご飯を食べ、筋力トレーニングをすることで屈強な体をつくるのが伝統的だった。クロスプレーでは相手を倒すこともある。

「普通であれば知らんぷりしていたけど、手を差し伸べてやれと。キャッチャーに例えれば、打者がファウルを打ったら、バットを拾って、汚れがついていたら自分の、帝京の縦じまで拭いてやれ。そういうことをやっていこうと。そしてまた勝ち続けよう」

   ◇  ◇  ◇    

06年夏の甲子園。準々決勝で帝京は智弁和歌山に12-13で敗れた。9回に8点を奪って逆転したが、9回裏に投手を使い果たして5失点でサヨナラ負け。高校野球史に残る熱戦だった。

試合後、敗れた帝京にも、甲子園中から大きな拍手がわき起こった。

「背中というか、体に電気が走ったね。喜んでもらえたというのは、今までやってきたことは間違いじゃないんだと」

帝京は11年夏を最後に甲子園に出ていない。前田にとっては初出場後からの最長ブランクが続く。95年を最後に日本一からは遠ざかり、勝ち続けることはできていない。それでもOBはプロで活躍し、ファンに愛される野球は少しずつ浸透してきている。

「高校野球は時代とともに変わってますから、そういうものを感じ取っていかないと取り残されてしまう。そういう風に僕は感じたな。本当に挑戦ばかり。いくつになってもテーマというのが出てくるね」。高校野球100回大会の夏、69歳になる前田は47回目の新たな挑戦に歩みを進める。(敬称略=おわり)【前田祐輔】

(2018年1月26日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)

智弁和歌山・高嶋監督(左)と帝京・前田監督(2015年撮影)
評論家コラム

イチロー新打法で鋭いライナー性増える/和田一浩

イチローの新打撃フォーム(左)。右は2016年マーリンズ時代

マリナーズのイチロー外野手(45)が、新打撃フォームでメジャー19年目のスタートを切った。日刊スポーツ評論家の和田一浩氏(46)がイチローの“変化”に迫った。

   ◇   ◇   ◇

打撃フォームを変えたと言っても、オーソドックスなスタイルに直したという感じがする。確かに今までよりも低く構え、トップを作る前にもう少しだけ低くなってから打ちにいっている。ただ、スッと真っすぐに立ってから、体の軸を移動しながら打っていた頃より、基本に忠実な打撃フォームだと思う。

頭の位置が上下するのは良くないが、動いているのはトップを作るまで。慌てて動かすのはダメだが、この時点までに上下するのはまったく問題ない。むしろ低くしてから打ちにいくことで、下半身、特に軸足の左足に力がたまっている。今までは投手側に体の軸を移動させながら“2軸”で打っていたが、前に移動しない分、ボールを呼び込んで打てるだろう。

今までが“天才的”な打ち方で、なぜ変えたのかは、本人に聞いてみないと分からない。しかし、一流の打者というのは年齢を重ね、体調の変化やケガの影響などに伴って、毎年微妙な変化を加えるもの。自分自身の問題だけでなく、相手が研究し、攻め方を変えてくれば、その変化に対応するのと同じ。むしろ、変化に対応する姿勢と能力がなければ、長い期間、打ち続けることはできない。

個人的に言うと、今の打ち方の方が好きな打撃フォーム。打ち方だけで言うなら、ゴロを打ってスピードを生かした安打は減るだろうが、鋭いライナー性のヒットは増えると思う。

イチローは「一流」ではなく「超一流」の打者。実戦から離れていたハンディを逆に利用し、思い切った打撃フォームを試行錯誤しながらつくり変えたのだと思う。アッと驚くような活躍を期待している。(日刊スポーツ評論家)

新打法でフリー打撃をするイチロー(撮影・菅敏)

番記者コラム・ソフトバンク

東浜と千賀、若い2人が開幕を狙い生まれる効果

ブルペンで投げ込むソフトバンク東浜巨と千賀滉大

2人のエース候補がソフトバンクの投手陣を引っ張っている。東浜巨投手(28)と千賀滉大投手(26)だ。

このキャンプではともに開幕投手を目指し切磋琢磨(せっさたくま)しているが、投球面だけではなく精神面でもチームの中心になろうとしている。

例えば東浜は、育成ルーキーの重田から質問を受け、身ぶり手ぶりで投げ方を指導する場面があった。千賀もドラフト1位の甲斐野にアドバイスを送ったようで、17日の紅白戦で初実戦を終えた甲斐野が「ランナー出てからが大事やぞ、と言われていたので、意識して投げました」と話していた。

エース格といってもまだ2人は20代。若い東浜と千賀が周囲を見渡す立場になったことで、年の近い若手たちも声をかけやすく相乗効果が生まれているように見える。

ベテラン和田は以前、こう話していた。「2人が開幕を狙うというチームの状況は喜ばしい。大いに競争して、チームを引っ張っていってほしい。ぼくが入った頃は(斉藤)和己さん、スギ(杉内)、(新垣)渚と競い合ってやってきた。2人が先頭に立って柱になってもらわないと」。近い将来、00年代を超える「投手王国」が生まれているかもしれない。【山本大地】